◆自己紹介・私について◆Ⅰ

Q・私ってどんな人?

占い師歴20年以上、鑑定件数3万件以上の私ですが…
過去の私をここで書こうとすると
それは連載にしなくてはならない?と言うほど波乱万丈。

そもそも、需要ある?

でも、なぜ書こうかと思ったかと言うと
最近よく言われる言葉

「本当に幸せそうですね!!!」と。
「羨ましいですぅ」と。

「待て待て待て待て!!!」と心が叫ぶ(笑)
「あれだけ苦労したんだもん!人生の後半戦は幸せである私を許してくれ!」と思う。

私、多分来世はかなり修行を積んだ高等な人に生まれ変わるんじゃないかと思うほどだ。
なんなら、もう天界にいたい。地球に降りたくない…

そんな話を大好きな方としていてふと言われた言葉

「陽子さんの自己紹介、ブログにないですよ」と…

「あれれ?当然みんな知っているものだと思ってます。私」
「新しいお客様は知らないですよね!」
「うわぁ…確かに!」

ということで、改めまして「こんにちは!!!」と。
自己紹介を何日もかけて書いていこうかと思うので、

そんなこと知ってる!っていう方はすっ飛ばしてくださいね^^
でも久しぶりに詳細に書くので
あなたの知らない私もいるかもよ???(笑)

まず、名前はずっと占い師名がセレナだったのですが
ここ最近は陽子で活動。
(なんの知識にもなりませんが私の改名遍歴は
SERENA→水希妃里(画数めっちゃ良いらしい)→serena→セレナ→セレナ陽子→セレナ→陽子…)
あなたはどのあたりからの知り合い???

それにしても、セレナで彷徨いすぎですね!

でもいまだに「セレナさん(いやSERENAさんか?)」と呼ぶ人多めだし、もうどっちでも良くなっている。
(結婚しても旧姓で呼ばれる人と同じ感覚)

さて…

遡る事22年前、1回目の結婚に終止符を打った私。
しかも息子二人連れて!
若さとは、今考えても無鉄砲である。
31歳の私の言ったことを未だに忘れられない。

「夫のいる孤独なら、夫のいない孤独」

存在だけあるいつもいない夫が辛すぎて、寂しすぎたんですね…

あの頃の私はずっと二人の息子と一緒に、狭い世界で生きていて
唯一の娯楽は「読書」と「ドトールでベーグルサンド(今は無い)」を食べる事(汗)。

社宅のマダムたちの話には付いていけず(これは未だに…社宅じゃないけどコミュニティー苦手です)
私の世界は「息子」と「本の世界」だけ。

どの角度から見ても「孤独」。可哀想って、当時の私に声をかけたい。

今の私の原点や、どうして占い師として頭角を表す事が出来たのか?
なんて言う話は、恐らくは私の血筋や育った生い立ちや、そしてこの頃の孤独など
複雑に絡まっているのだと思いますが、50代になった今…
のほほんと生きている自分に改めて驚く。

でも、その当時のことを忘れたことはないし
逆にめちゃくちゃ大変な人生ではあったけれど
アニメのヒーローはいつだって波乱万丈ですから、これで良し!笑
もう2度と、嫌だけどなっ!!!(声荒げ目に)

今回は、簡単に時系列で説明し、
ざっくりと私の過去を知ってください。

くどいようですが…需要ある?

・1972年5月 北海道で産声を上げる!(今月誕生日ですっ)
・中学校から短大まで女子ばっかりの学校で育つ。
(女子校ならではの嫌な感じのいじめがあった。
この環境のトラウマで女性の集団は未だに苦手)
・23歳で結婚、すぐに関西に転勤、2度の妊娠、出産をする。
・二人目が赤ちゃんの頃、北海道と関西の行き来をする事が重なり
産後のためパニック障害となる。(産後だったからかホルモンが安定すると、割とすぐに改善)
・不安定な中、二人の息子のワンオペ子育て…
・31歳の時、離婚…
・息子と離れなくてもいい仕事を考え「占い師」になるか!と気楽に考える。
(とりあえずoracle cardを2つ購入しみるが、前知識なく全部読めて驚く!!!
あの頃の私の声「カードがお話ししているようだ!!!」←気持ち悪い…)
・占い会社で5社くらい面接、試験をして全社受かる!
・働くと人気ランキング1位となる
・働き詰めの割に給料が低いなぁと考え、サロンを開く
・お客様があまり来ないので「スピリチュアル・コンベンション」に参加する
(長蛇の列になり引く、この頃からのお客様も未だいる)
・何度か参加するうちに、サロンのお客様が増えすぎる。
・なんとなくブレスレットを作りサロンに置くと、すぐ売れる。
・横浜で死ぬほど働きまくる。
(この頃の私は、自分で「有料版命の電話みたい」と思っていた。1日10件くらいの悩みを聞いていた。)
・次男が登校拒否になり、実は頭を悩ませている。
・なんだか色々限界になり、横浜から関西に引っ越す。
・もう占い師はダメかなぁとOLをやる覚悟だったけれど、
対面のお客様が電話占いでもいいと言ってくださり、占い師としての日々が続く(涙)
(もう、今思い出しても泣ける。死ぬほど好き。)
・関西で下血…入院…潰瘍性大腸炎という持病を持つ。
・次男が入院!10ヶ月に渡る長い入院生活だったが無事退院。
・長男が社会人となり、横浜に行く。
・私、また下血…入院…
・44歳になった時、色々落ち着き「そろそろパートナーが欲しいなぁ」と切に願う。
・45歳の時、今の夫と出会う。
・旅人生が始まる。
・次男が語学留学する。
・帰国して、大学受験をする。合格!
・長男が仕事を辞めて帰ってくる。遅い大学受験。志望校ではないが合格!
・51歳の時、人生最大のピンチがあり、パートナーに別れを告げる。
・別れを告げたのに、プロポーズされる。(お受けする…なんでよ!笑)
・全て乗り越え、息子たちも社会人となり、今ののんびり時代突入…

実際、ここに書けないことも山ほど(笑)
全部書ける時は、多分私が70代になった時だと思う。

もちろん、この間に…
色々な人と出会い、別れ、嫌な思いもしたし、感謝もあるし…
でも特定な人など今はどうでも良く、むしろ、全ての人たちに感謝しかない。

こう思う。

今ある自分は、こんな色々が重なって作られている。

でも、こんなことを経験しても
変わらず俗世間に呑まれ、悪態ついたりしている自分がいるのだ。
ちっとも大人になんてなれない。

あまりに長くなって、私が疲弊したので、また明日続きを(笑)

頑張ったから需要あってくれ!!!

あなたの人生、あなたのものです。

またね!

陽子

※写真は初めてインドに行った時の写真です、早朝のガンジス河…
夜は「インド嫌いかも!」って思ったインドが大好きになる時間です。
タイトル「ガンジスと寝癖と私」

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